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m_pheno曰く

m_pheno(もふぇの)の告知やひとりごと

楽曲"黄昏時ヲ闊歩セヨ" (MW. -Mosaic World- より) についての覚書

先日、デスソースEP以降交流のあったイラストレータmorphさんの誕生日企画"MW. -Mosaic World-"がリリースされた。

MW. -Mosaic World-

内容としては、主催兼主役であるmorphさんが描いたオリジナルキャラクター一人につき参加者が一曲ずつ作り、EPとしてインターネットに公開するというものだ。曲数にして17曲、もはやEPと呼ぶには多すぎる曲数である。

上記ウェブサイトのタイトル部分をクリックするとフリーでダウンロードできる。また矢印を押せばキャラクターが切り替わり、そのキャラクターをクリックすれば詳細設定も見ることができる。ページ制作は作曲でも参加している難波拓哉さん。ウェブページまで豪華である。

僕ももちろん参加している。"エルヴィオ"というキャラクターを担当、11曲目の"黄昏時ヲ闊歩セヨ"という曲を書いた。

作った曲について人にああだこうだと解説するのはスタンスに反するのだが、この企画においては〈キャラクターソング〉という面が非常に強いため、〈いかにキャラクターを曲にしたか?〉を説明しないことには、エルヴィオという素敵なキャラクターを任せてくれたmorphさんに義理が立たないため、蛇足になることを覚悟して書かせていただく。

 

キャラクター紹介

まずは僕が担当した"エルヴィオ"という人物の設定を紹介したい。

名前:エルヴィオ(Eluvio)

性別:男

身長:177

一夜にして自国を消し、

一月で世界から命を消した"元"勇者。

何度も"周回"し、繰り返される"エンディング"に飽きた勇者は

その"ゲーム"を消すために剣を振るう。

「ほら、やっぱりこっちの方が楽しいじゃないか」

 以上の設定はウェブページでも確認することができる。イラスト付きで見られるので是非そちらで見ていただきたい。

 

解釈の仕方、あるいは言い訳

この設定をもらって最初にした作業は〈自分とキャラクターの短絡〉だった。

僕は〈僕のことしか語れない〉。すなわち、演劇的なもの、つまり他人になりきって話したりものを書いたりすることには興味がなく、また他人が単体でどのような考えを持ち、どのようにふるまうのかを想像するといったことができない。エルヴィオは架空の人物ではあるが、たとえ実在したとしても完璧なコミュニケーション、意味の共有なんてものはできないであろう。

そんな意思疎通の不可能性を強く意識してしまう僕が、エルヴィオという人物について語るためには、解釈妄想によって彼の人物像を僕の実存に無理やり近づけるという仕方を選ぶしかなかった。つまり、キャラクターが先にあってその各要素を音楽に変換するのではなく、僕が先にあって、与えられた設定を、多くの手続きを無視して直接つなぎ合わせてしまったのだ。

何が言いたいかというと、この曲は、彼が設定の少ない非実在人物であることをいいことに、エルヴィオという皮をかぶった僕の歌である。

なんだかキャラクターソングとしては怒られそうな話ではあるが、こうするしかなかったのだ。

 

設定の解釈妄想

それでは具体的な解釈を書こう。

石井岳龍監督

エルヴィオは"ゲーム"の世界でもともと"勇者"をやっていた。そして"ゲーム"には"周回"や"エンディング"というシステムがあり、これに嫌気がさして消し去ろうとしている。

まず僕はこれを〈個人対システム〉という構図であるととらえた。〈個人対システム〉は、僕が愛してやまない映画監督・石井岳龍(元・石井聰亙)が描き続けている構図である。

石井監督は、個人がシステムに立ち向かうときに暴力を用いる。そこに論理性はなく、ひとりで何十人と戦うことや手足を失うことがあっても挑み続ける。求めるのは、カッコよさとメンツと自由だけだ。乱闘や銃撃戦、バイクに乗るときに流れるのはロックでなければならない。

結果的にストレートなロックを作る事にはならなかったが、石井岳龍監督のロック的精神性を中心に据えるつもりで曲を書いた。そのパワーを借りるつもりで歌詞に多くの要素を盛り込んであり、石井監督作品である「狂い咲きサンダーロード」「爆裂都市」「ソレダケ」のタイトルと、「狂い咲きサンダーロード」劇中の台詞

「酒くれよ 一発であの世いけるやつな」

を引用している。

見沢知廉

そして僕に石井岳龍監督を教えてくれた友人は、見沢知廉という小説家を愛している。実をいうと知廉の本を読んだことはないのだが、子供がロックスターを語るのと同じように、目を輝かせながら何度も知廉のことを話してくれたため、どうしても僕には石井監督と切り離せないのだ。

見沢知廉については詳しくはないし、語り始めると多分に政治的な話をしなければならないため避けるが、彼も非常にパワフルな言葉を使い、その友人は口癖のように知廉の言葉を毎日言い続けている。その中でもたいへん印象的であった

「<敵>が判んねえなら教えてやる」

(『テロならできるぜ 銭湯は怖いよの子供達』より)

という章タイトルは、石井岳龍監督が描くスタイルにうまく合致しているように思えたため、これまた引用させてもらった。

ヘーゲル

エルヴィオは既に"自国を消し"、"世界から命を消し"ている。当然、"ゲーム"を消すための行程であり、それらが完了しているならゲーム世界の滅亡はかなり近いと言っていいだろう。

ここで僕は、哲学者ヘーゲルが『法の哲学』で次のように書いたことを思い出した。

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」

ミネルヴァはローマ神話における知恵をつかさどる女神であり、その使いが梟であると言われていた。このことを背景にヘーゲルが言いたかったことは、「哲学は、現実が完了してしまってから、時代の総括あるいは歴史的なものの考え方としてようやく現れるものである」ということらしい。この解釈や今の説明が完璧であるとは思わないが、いったんその議論は置いておいて、ここでの「黄昏」は「ひとまとまりの時代の終わり」を表していることに間違いはないと思う。

ここまで書けば分かると思うが、曲名における「黄昏時」はヘーゲルの言葉を意識した意味を持たせている。すなわち"黄昏時ヲ闊歩セヨ"とは、〈終末の時をひとり堂々と歩く者になれ〉といった意図で付けたタイトルである。そして「さあ すぐに梟の羽ばたきが聞こえてくるさ 」という歌詞も、終末を告げる音がそろそろ聞こえてくるだろう、ということになる。

オイディプス王の悲劇とシン・ゴジラ

 エルヴィオがなぜ"ゲーム"というシステムを破壊しようと思ったのかも考えねばならない。ここで思いついたのが、これまた僕の愛する映画『シン・ゴジラ』と、それが打ち破ったシステムである。

これも伝え聞いた話ではあるのだが、人文学では〈物語〉と呼ばれるものはほとんど、ギリシャ悲劇『オイディプス王』と同じ構図になっているらしい。その構図の主だったものは〈父殺し〉と〈母への同化願望〉とのことである。悲劇そのものやこれらの構図の詳しいことはインターネットで調べればいくらでも出てくるので割愛する(興味があればフロイトが提唱した「エディプス・コンプレックス」を調べてみても面白いだろう)。とにかく、〈主人公〉がいて、精神的にしろ物理的にしろ自己存在をかけて乗り越えるべき〈父〉がいて、その起点となる〈母〉がいる、という構造がどの物語にも言えるのだ、ということである。

しかしこの構造は、『シン・ゴジラ』において粉々に砕かれた。自分が主人公〈ヒーロー〉だと出張る人間はいない。乗り越える災害はあれども、それは理由を求める〈父〉ではなく、「なぜ」と問うことなしに「どうやって」乗り越えるかという行く宛なしの情熱だけである。愛すべき〈母〉どころか、家族の概念は小道具程度にしか登場しない。このあたりの議論を続けると長くなるのでここまでにするが、僕が思うに、『シン・ゴジラ』はこのような既存の物語構造を打ち破ったのである。

既存の物語という、手垢のついた〈システム〉はつねに説教臭く〈意味〉や〈理由〉を問う。『シン・ゴジラ』の庵野監督はそれに嫌気がさし、怒りを感じ、見切りをつけて破壊してしまったのではないか。これは僕の解釈妄想でしかないが、その怒りの一致こそが僕を惹きつけているのかもしれない。そして僕はシステムとその破壊をエルヴィオに重ね、怒りの対象=敵を打ち破ることが、僕/エルヴィオの世界を救う希望だと見出したのだ。

 

構想から楽曲へ

以上のような考察と作曲(歌詞を除く)が先だったのか後だったのかは正直定かではない、というと幻滅するだろうが、音楽なんてそんなものだ。この三千字超の駄文がただの後付け設定なのかどうか、今となっては作曲者である僕が忘れてしまったので永遠にわからないだろう。

こういった構想をぼんやりと頭に浮かべていたら、数年前The Pop Groupをはじめて聞いた衝撃で作ったリフを思い出した。この曲で使った、八分音符と付点八分のカッティングが交互に絡むフレーズだ。そしてThe Pop GroupP.I.L.といったポストパンクを強く意識し、"闊歩セヨ"というタイトルや『シン・ゴジラ』で流れたフリゲート・マーチ(劇中では"怪獣大戦争"および"宇宙大戦争"のメインテーマ)を想起させるような四つ打ちを重く堂々と続け、湾曲してはいるが希望を意識させるようなファンファーレ的なサビが待っている、という構成になった。ギターソロが二小節ごとに移調したり、ディレイの発振がところどころに入っていたりと破壊的・暴力的なモチーフも多々取り入れている。

 

最後に

そろそろ何を書いているのかわからなくなってきたのでここで打ち止めとする。初めて作った曲について語ってみたが、こんな読む気の起きない(あるいは読ませる気のない)長文がたったの4分に収まるのだから、僕は音楽を作っているのかもしれない、なんてことを思っている。

とにかく、この素晴らしい企画に参加させてもらえたことを嬉しく思う。morphさんをはじめとした参加者の皆さんには感謝している。非常に楽しい企画であった。

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