m_pheno曰く

m_pheno(もふぇの)の告知やひとりごと

2016年を振り返る 映画編

去年僕が見た映画を備忘録がてらにまとめてみようと思う。

ネタバレの配慮はしないことを先に述べておく。

 

バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生

2016年の映画一覧を公開日の順番に見ながら書いているのだが、最初に見たのが3月であることに驚いた。2月まで何をしていたのか。

そんなことはともかく、2015年アメコミ映画はマーベルだらけだったが、2016年はDCコミックスの2大スーパーヒーローから始まった。

少し戦闘シーン以外が長すぎる気がしたが、バットマンシリーズがこの映画でまた一からやり直されることになっているのでその導入としては仕方ないとも思う。

リアリティよりも、CGを駆使しスピード感と重量感を強調しド派手さを演出する戦闘シーンはマーベルとの大きな違いであろう。DC系列は初めて見たが刺激的だった。

バットマンとスーパーマンが戦う理由が若干こじつけ気味に感じたし、それゆえにヒーロー対決もついていけなかったが、共闘シーンはやはりアツい!技術力のバットマンと人外の力のスーパーマンという対比はわかりやすかったし、一概に真逆とはいえないものの等しくもない正義の理念の対比は斬新に感じた。共闘のほうをメインに持ってきたのは原題では『vs』でなく『v』となっていることからも感じられる(無論、スーパーマンの頭文字Sとかけてもいるのだろうが)。

今作のヴィランであるレックス・ルーサーが『スーパーマン リターンズ』等の従来のイメージとまったく異なる狂人の若者であったため戸惑ったが、非常に魅力的だった。最後にはちゃんとハゲになるし。

満を持して参戦するワンダーウーマン、実は一番カッコよかったのではないか?と思うほどに素敵なキャラクターだ。彼女が主役の映画が今年やるらしいので楽しみである。

スーサイド・スクワッドを見損ねたのはなかなかに後悔している。

 

シビル・ウォー キャプテン・アメリカ

ヒーロー対決がDCとマーベルで続けて放映されるというアメコミ合戦である。

こちらは全作とはいわずともそれなりに追いかけてはいたので、非常に感慨深いものがあった。

タイトル通りキャプテンの因縁に終止符を打つ彼の物語でありつつ、アベンジャーズというヒーロー集団全員の物語でもあるという構造は実に面白いが、どこかで見た「キャプテン総受けのカップリングの取り合い」という言葉が最も簡潔にこの映画を表しているというのが冗談のようで本当であるのが笑えてしまう。

チーム二分割の総力戦(ただやりたかっただけだろうけど最高)や新しいスパイダーマンの登場など語るべきはたくさんあるが、僕が最も胸を撃たれたのはラストのキャプテン・アメリカ対アイアンマンである。もはや正義のぶつかり合いですらなく、ただの個人的な怨嗟による衝突なのだ。しかも、悪を断定できない類の、しかたのない理由での戦い。前作ではあんなにアベンジャーズとして仲が良かっただけに、本当に悲しい戦いだった。

予告編ではキャプテンがバッキーことウィンター・ソルジャーをかばい「彼は親友だ」と言い、アイアンマンが「私は?(So was I ?) 」と問うシーンがあったが、本編では「かつては私もそうだった(So I was) 」に変更されており、一本取られた気分になった。『スターウォーズ エピソードⅦ』にもあった手法だが、このあたりのサービス精神と言うか、仕込みは流石である。

バットマン vs スーパーマン』も十分に面白かったが、テンポや話の運び方にはマーベルのほうが一歩先を行っているように感じる。次は『ドクター・ストレンジ』にも期待しよう。

 

デッドプール

こちらは『シビル・ウォー』とは逆に、「予告を見すぎたせいであまり面白く思えなかった」映画であった。

正直期待のしすぎで、予告映像が更新されたらすぐ見ていて、特に長いものは何度も繰り返し見ていた。

ところが、メチャクチャかっこいいはずの前半の銃撃シーンが予告編でほぼ出尽くしていたうえ、戦闘シーンとしては後半の殺陣よりこちらのほうがクールに決まっていたように思えてしまったので、初見のインパクトに欠けてしまい何となくノれなかったのだ。

とはいえこれは本当に個人的な理由によるもので、おそらく前情報なしで普通に見ていれば面白かったであろうし、面白い映画ではあったと思う。もっとはっちゃけていてもよかった気がするが。

次回作の製作が難航しているようだが、相方のケーブルも出るようだし今度こそ期待しすぎずに期待している。

 

シン・ゴジラ

僕の感性に、価値観に、表現できない程の影響を与えてしまった映画。

これに関しては言いたいことが多すぎる。今度別途記事にするか人に喋るだけで終わらせるかにしよう。どちらにせよここで書くと記事が備忘録にしては大変な長さになってしまう。

ゴジラがひたすら強くて怖くて、何度見ても席を立つのに苦労するほど足が震える。

見終わると、カット割りの速さに疲れを感じつつも、「明日も生きていこう」という、陳腐な、しかし大事な勇気をもらえる。

とにかく、かけがえのない映画だ。作中、牧教授が遺した「私は好きにした。君たちも好きにしろ」という言葉は、庵野秀明監督からの「私は好きに愛した。君たちも好きに愛してくれ」という、とても懐の広いメッセージなのではないか、そう思えてしまうほど、僕らは『シン・ゴジラ』をいくらでも、何度でも語ってしまいたくなるだろう。もちろん、大好きな感情をことばで語りきるなんてことが不可能であり、おこがましいことであるのは知っていながら。

僕の感想に代えて、僕と『シン・ゴジラ』を最も語り合った友人の一連の文章を紹介したい。僕はこれに勝る『シン・ゴジラ』評を見たことがない。

さよなら東京文学 — さよなら綾波レイ―「シン・ゴジラ」における〈排除されたもの〉―

さよなら東京文学 — 1.名無しの殺人―ゴジラは神でありえたか―

さよなら東京文学 — 2.世界中ヒロシマになり空がすっかり壊れても―「なぜ」と問うことなしにゴジラとたたかうこと―

さよなら東京文学 — 3.演説失敗、あるいはつまらない独り言を語ることなしに誰かと生きるための数少ないやり方

さよなら東京文学 — わたしたちの日常のために―「風立ちぬ」から「シン・ゴジラ」までのあいだに―

(あと誰かジ・アート・オブ・シン・ゴジラ買ってください…)

 

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ ([バラエティ])

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ ([バラエティ])

 

 

 

君の名は。

正直なところ無感動だったのだが、間違いなく傑作ではあったのだろうと思う。

世間で騒がれるような「SNSでヒットすれば内容如何にかかわらず売れる」みたいな見当違いな僻みも、「この映画を好んで見る様な連中は教養が足りない」みたいな金と情報量だけ持っている都会の分厚いスーツを着た〈有識者〉とか言われる人間の自分を強く見せたいだけの発言も、反吐が出る。『君の名は。』を、僕にとっての『シン・ゴジラ』のようにかけがえのないものとして胸に抱え続けるであろう人が何人も現れるのは想像に難くない、そんな映画であった。

ただ、やはり僕としては明確に嫌いな映画として認識していて、理由は“ノれない”というどうしようもなく根本的な感性からだ。「RAD WIMPSに親を殺されたかのような反応を示すタイプ」といえば理解してもらえるのではないか。そういった類の人間なのだ。この映画を賞賛できる点を探して「僕が『君の名は。』を嫌っているのは何かの間違いなんじゃないか」などと努力してみたりもしたが、間違えたのは生まれた時代なのかもしれない。

新海誠監督は、人の所作、たとえば髪を手でかきわけたり、疲れた足をもんだりと言った行為を美しく切り取ることに関しては天才的に優れていると思う。正直、ストーリー重視のものを作るよりショートムービーとして人の行為を切り取り続けるようなものを作ってもらえたなら、それを許すような映画界のシステムができるなら、と願わないではない。

 

聲の形

2016年で最も好きな映画は間違いなく『シン・ゴジラ』だが、最も衝撃を受けた映画は、と問われればこの映画を挙げるだろう。

 『聲の形』は、障害者やいじめがフィーチャーされているわけだが、そういった問題を取り上げる際によく取りざたされるような説教じみた文脈にはいない。登場人物の誰もが、自分のことしか話そうとしないし、その自分のことさえ話すのに失敗する。西宮硝子だけではない、登場人物のすべてがどもる。果たして対話は不可能だ。ならどうするか?そう、身体を使うのだ。叫べ、走れ、身を投げろ、殴れ、手を掴め……

シン・ゴジラ』や『君の名は。』、そしてこれから述べる『この世界の片隅に』はすべて、生き方や記憶、可能性とかそういったことがらを“言葉にできる仕方で”それぞれに表現している。しかし、『聲の形』が示した仕方は”身体感覚”だ。ほかの映画がああだこうだと論を繰り広げている横から「何ゴタゴタ言ってんだ、こっちのほうが早いだろ」とぶん殴っていくような、鮮烈な映画なのだ。放射熱線よりも、彗星よりも、空爆原子爆弾よりも、暴力的だと言っていいかもしれない。誤解を受けがちなテーマも相まって、見る人にとっては拒絶反応が出そうな映画だったが、僕には最高の刺激となった。これは本当にすごい映画だ。

何よりも度胆を抜かれたのは、冒頭すぐ流れる音楽だ。そう、ロックに憧れた少年が誰もが聞いた、The Whoの"My Generation"だ。


The Who - My Generation

この曲をオープニングに持ってくる采配には脱帽せざるを得ない。この曲のボーカルは、どもったように、まるで映画の登場人物たちのように、発音する。これほど『聲の形』に合った曲は、劇伴にさえないのではないか。そしてこれは流石に狙ってのことではないと思うが、面白いことに、『君の名は。』で〈前前前世〉と歌っている一方で、The Whoは〈Talkin' 'bout my generation〉と歌っているのだ。前世なんて言っている場合じゃない、今の、僕の世代の話をしろ。もちろんここまでは言っていないが……。というか、反則だ。ロックンローラーThe Whoを聞いたら「最高だ!」と言わざるを得ない、そういう仕組みになっているのだ。かなうはずがない。

 

この世界の片隅に

先の大戦の敗戦近辺における広島・呉での“ふつうの”暮らしを、戦争の悲惨さや悲しみを伝えるためでなく、ドキュメンタリーのように淡々と描いていく映画。

あたたかい絵柄、あたたかい音色で表現されていて、どちらかというと心温まるようなシーンが多いようにさえ感じる。しかし、この手の作品、たとえば『火垂るの墓』や『はだしのゲン』よりもよっぽど悲痛に感じてしまうのだ。なんの感慨もなく“ふつうに”人が死ぬ。警報が鳴る。空襲が来る。主人公すずは絵を描くが、その絵を描くための右腕も失う。〈あの時こうしていれば あの日に戻れれば〉……映画の作調のようにあたたかな性格の、ぼうっとした“ふつうの”女性であったすずの願いは、爆弾に、核の光に、焼き払われる。目の前には現実しかない。そして“ふつうの”日本人としてできることをやる、現実を生き延びてやる、それが戦いだと決心するもつかの間、玉音放送で敗戦を知る。そして、すずは怒る。そう、戦いのなかの生活をしていると、敗戦に怒りを感じるのだ。僕にはそんな発想はなかった、なぜなら僕の知る“戦争の悲惨さを語るもの”では、戦争は無いに越したことはないのだから、終われば安堵や喜びを感じるものだと思っていたからだ。これが戦時の“ふつうの”感覚なのか、僕はこの映画を見て初めて知った。

僕はこの映画でいたく感動したが、これは押し付けがましい〈共感〉などといった類の感情ではなく、心地よく(しかし怒りもいっしょに)感じたものであった。

 

ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー

正直あまり好きではない。こんなことを言うと怒られる気がするが「ただの洋画っぽい」というのが感想である。

『エピソードⅦ』で一番言われていた(ように感じる)ドンパチの地味さは見事に解消、洋画ならではのド派手な演出を用いたド派手な絵作りは本当に圧巻で、ことXウイングやタイ・ファイター、続々初登場する陸戦・空戦のメカ同士の戦いは流石であった。キャラクターもわかりやすく魅力的だ。でも「それだけ」な気がする。これは「何をもってスター・ウォーズとするか、スター・ウォーズに求めるものは何か」によって意見がまったく分かれてしまうと思う。ただ僕が思うスター・ウォーズは、“フォース”というなんだかよくわからない力が主軸の不安定な世界・空気感の中で繰り広げられる、人間ドラマありきのものだ。『ローグ・ワン』を見て、そして『エピソードⅦ』と比べて、はじめてこういった僕のスター・ウォーズ感を認識した。世間的には「エピソードⅦよりローグ・ワンのほうが面白い」という意見が多いように感じるが、僕が逆の感想を持っているのはこの認識の違いなのだと思う。

要するに、やっぱりライトセーバー同士の殺陣がないとだめだ。エピソードⅣもⅦも優れた殺陣とは言い難かったが、あるのとないのとでは僕にとっては全く違うらしい。

 

ポッピンQ

幼児向けを意識しているせいか若干の受け入れがたさは感じたが、不思議にも気に入ってしまった。こんなに面白いと感じている自分に驚いている。

やっぱりこういったアニメーションは女の子がかわいいのが一番だし、おそらくその辺がハマったから好きになったのだと思うが、それだけではない。この物語を通して主人公ら5人の少女は確かに成長し、大人になれよと背中を押されるのだが、その過程で何かを乗り越えたり、打ち勝ったりすることはなかった。ドロップアウト、要するに“つまはじきもの”たちが更生(と、あえて言い切ってしまう)するのに必要なのは、勝ち負けではなく、楽しむことだったのだ。好きなことをやればいい、楽しめれば何でもいいのだ。これは、自分に照らし合わせれば、音楽をやるときに一番感じたいこと、そして好きな音楽を初めて聞いた時の感動そのものなのではないか?そういったことを感じたからか、この映画を見終わったあとは非常にすがすがしい気分であった。

この感想は短絡だ。しかし、短絡こそが感動の本質だろう。

まあ正直、この手の電子音楽にはノれないので手放しに大好きだとは言えないのが、僕のどうしようもないところである。

 

 

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以上が、僕が2016年に見たすべての新作映画だ。見事に有名どころしか見ておらず、底の浅さが知れる。しかし、本当に大切な映画にはちゃんと巡り会えたはずである。

心残りがあるとすれば、『シング・ストリート』、『スーサイド・スクワッド』、『レッドタートル』、何より『ディストラクション・ベイビーズ』あたりを見ておきたかった。

また、劇場でネガリマスター版を見たからという理由で『狂い咲きサンダーロード』を入れるかどうか迷ったが流石に反則ぎみなのでやめておいた。しかし、この映画もまたかけがえのない出会いであったことだけ、最後に記しておく。

 

2017年も、良い映画を見られることを望む。